毎日の色つなぎ

毎日しあわせな事が沢山あるとうれしいけど、ブルーな経験も長い人生の中では丁度良いアクセントになるかも。 いろいろな毎日の色。大きなキルトの様にいろんな色をつなぎ合わせて生きたいな。
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はる坊一歳!

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早いもので、7月2日にはる坊は一才の誕生日を迎えました。
はる坊がやって来てからは、毎日がすごく楽しくて、うれしくて*^^*、この一年、あっという間に過ぎてしまったように思えます。

まだ、はっきりと残ってる産声。 泣いてるなー!生きてる!!ってすごく感動したものです。
と同時に、2884gの47cmで産まれたはる坊は 3306gの51cmで産まれたまなポンに比べたらすごーーく小さく感じで、大丈夫かしら?って不安になったのでした。 
そんな小さかったはる坊
体重約10kg 身長約72cm(正確に測る場所がなく、大体で測ってみました)大きくなったな♪
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10ヶ月まで、全く動く気配もなかったのですが、11ヶ月に入った途端、はいはいして、つかまり立ちして、伝い歩きもし始め、目が離せなくなりました。

そして、誕生日のその日! 一人でたったのです。
ほんの少しだったけど、そして本人も気づいてなくて(笑) 
本人は、もっていたティッシュ箱につかまってるつもりだったようですが、その箱はどこにもくっついてないんだよね(笑) 

「あれー! はる君立ってるよ~」って声をかけると、
「え??」って顔して、本人がびっくりしてた。
俺まだ立てないよ~って顔して甘えてきて・・かわいいな♪って思いました。

ゆっくりだけど、確実に大きくなっていくはる坊。 うれしいけど悲しいような・・・母親としては複雑(笑)

まなポンがBIRTHDAYハットを作ってくれました。

が・・・ 被り物嫌いのはる坊。 すぐに拒否!!
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これから暑い日が本格的にやってくるっていうのに、帽子が嫌いで困ったものです・・・

ケーキもまなポンが作りました。 ゼリーとホットケーキではる坊も食べられように*^^*
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オレ。一人で食べられるよ~ おいしょ! ケーキさん逃げないで~!!
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    ほらっ! つかめた!!  ぱくぱく~!!

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たくさん食べて、たくさん遊んで大きくな~れ!!

一歳のお誕生日おめでとう!!  
お母さんはあなたに出会えて幸せです!!
【 2011/07/04 】 未分類 | TB(0) | CM(6)

仙台空港

伊丹→仙台間の航空便が開通しました。
なんという早さ!!  たぶん今年の夏は無理だろうと思ってました。
車で、地道にと考えてましたが効率よく帰れそうです*^^*

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写真は今年のお正月、仙台空港にて。
まさか、この約二ヶ月後にこんなになるなんてね・・・・

当初はとにかく悲しくて悲しくて・・・泣いてばかりいましたが、あれから一ヶ月経って気持ちが変わってきました。すごい恐怖感に襲われてます。

今月初め、ダンナが実家へ一度帰りました。
私も、と思ったけど、まなポンはまだまだ小さくてあの現実を見せるのはちょっと酷だろうな・・ということで留守番ということにしました。
でも、やっぱり連れて行けばよかったって・・・ダンナが言ってました。
現実を知ってほしい。

遠いところで復興、復興っていうけど、一ヶ月前と何も変わってない瓦礫の山。そしてテレビでは伝わらない「におい」。どんなにひどい状況か行って知る知るべきだ。って。
テレビで伝えてることはほんの一握りなんでしょうね・・・。

結局、うちの親戚は7人行方不明です。
毎日家族を探してる人。 もう探すことにあきらめた人。それぞれに葛藤があるようです。
うちのお義母さんも毎日おばあちゃんを探しに行ってるようで、お義父さんとダンナは精神的に参りそうなのでやめさせたいみたいです。
でも、私はお義母さんの気持ちがよくわかる。
私もたぶんそうする。

納得いくまで探してほしい。

そして、そのあとフォローするのは家族である私達だろうと思います。

おいっこなど急死に一生を得た話をたくさん聞きました。
すごく怖かったです。
何が生死を分けたのか本当にわからないですね。

もし私達がまだ仙台にいた頃だったら・・・・そう思うと小さな子供達を抱えている私は恐怖を感じるようになってきました。 
本当に怖かっただろうな・・・・
たぶん。すぐに秋田へ帰っただろうな。
(何気に秋田も停電結構あるけど。)



あと、ダンナが行ってたこと。
東北に出かけてお金を落としてくる! それこそ復興の第一歩だって。
東北は素敵な場所もたくさんあるし、おいしいものもある!ぜひ機会を見つけて多くの人に訪れてほしいと思います。

東北人の粘り強さと忍耐力でこの災害を乗り越えてほしいと思います。
がんばらなくていい。一歩一歩、無理せず進んでほしい。そう願わずにはいられません。
政治家さんもさ、東京で対策練ってないで、現地へいってたくさんの声を聞いて、話し合いしてほしい。
そんな電気も水も通ってるところで話したって、温度差が出るだけだと思う。

そして、どうか風評被害を拡大させないで!!
言い方をかえると風評被害は立派ないじめだと思います。

福島は相当のいじめにあってます。
福島県人だからってだけで、入店断られたり、いじめられたりって・・・・大人が言うこと、してること子供は見てます。 そして子供は時には残酷な事をします。 そうさせないためにも周りの大人がきちんとお話して、姿勢を見せるべきです。
昨日のニュースには、怒りがこみ上げてきました。
どうかどうかお願いです。




【 2011/04/15 】 未分類 | TB(0) | CM(0)

三月の出来事

続けて、三月のことを・・・・ 67(mariya).gif


いよいよ今月、まなポンは幼稚園卒業です。
ハワイへ行ったため幼稚園を一週間お休みしたので、二週間だけの登園です。
その間に行事がみっちり。

3月7日 お別れ会。
私は委員会のママたちとエプロンシアターをしました。
他にもハンドベルやクイズなんかで、ママ達が楽しいひと時を作ってくれました。
その後は茶話会。 おいしいクッキーやケーキを食べながら・・大好きなお友達とおしゃべり。
先生たちも楽しい出し物をしてくれました。

3月10日 給食参観
まなポンの幼稚園はお弁当がメインで(二年間良く作ったわ!私)週にいちどくらいの割合で給食がありました。
その都度お母さんたちがお手伝いをするのですが、私は一度も行ったことがありません。
最初で最後の給食を見る機会です。
はる坊は連れて行けないので、園ママに託して、まなポンとおいしく楽しくいただきました。
牛乳が苦手なまなポン。 思ってた以上に飲めてない・・小学校行ったら大丈夫かしら。。。。

3月11日 東日本大震災


3月17日 委員会打ち上げ
震災の後の打ち上げ・・・正直参加するのに気分にもなれなかったんだけど、最後だしという事で参加。
今年ははる坊も生まれて、委員会のお仕事はあまり出来なかったけど、いい方に恵まれたなと思いました。
お疲れさまはこちらから言わなきゃいけないのに、委員長さん、副委員長さんからみんなにプレゼント。
なんてお心遣い!!  


そして・・・・
三月19日 まなぽん卒園です。

大阪での新生活とともに始まったまなポンの幼稚園。
知らない町で知らない人に囲まれ、めんどくさくて正直いやになったこともあったけど、こうやって晴れのこの日を迎えた今、
とても楽しい園生活だったな、と思いました。
お友達もたくさん出来たしね。  これから小学校も一緒、ってお友達が多いのだけど、離れ離れになっちゃうお友達もたくさん。
でもまた中学校はいっしょだもんね!って明るくお別れしました。
(うちはその頃・・・どこにいるかわからないけど)
kako-nl7NyINm9ocMN1ri.jpg さよなら幼稚園

震災のこと、預けたはる坊のこと(未就学児の式への出席は出来ませんでした)いろんなことが重なり、集中して式に出席は出来なかったけど、園長先生

「東北関東では地震で大変だけど、私達はこうやってこの日を迎えられたことに感謝してください。」とおっしゃってました。 本当にそうだなって素直に感じました。
考えちゃうと泣きそうになるので、その先生の言葉を聞いてからは式に集中してました。
無事、修了証書も頂き、保育室へ。

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候補には挙がってたけど式では歌われなかった歌を園児達が歌ってくれました。
この歌歌うと悲しくなって泣いちゃうって言ってたまなポン。 やっぱり泣いてました。それをみてお友達ももらい泣き。

たぶん私も普段の状態だったら泣いてただろうな。

うちにかえってビデオを改めて見て無心になった時・・・・泣きました。

まなポン・・・お友達とのお別れがわかるんだ。
違う小学校に行くお友達との別れが辛くて、卒園が近づいてくると何度も小学校違っちゃうの?って聞いてたな。
この日がお別れって知っているんだと思うけど、いつものように式後園庭で遊び始めて・・・ブランコしたり、砂遊びしたり・・無邪気だな・・・と思い見つめてると
急に

「おなかすいたから帰る!」・・・・えーーーー今日でお別れなのに~??
親のほうがしんみりとお別れに浸ってたのに、当の本人達は結構けろり。
でも、それでいいのかもね(笑)

まなポンらしいです*^^* hana10(mariya).gif



【 2011/04/07 】 未分類 | TB(0) | CM(2)

二月の出来事

先日の記事で・・・たくさんの心温まる拍手のコメントありがとうございました。
お返事どうやって書いていいのか分からないんのですが、きちんと読ませていただきました。
ありがとうございます。


時はずいぶんと逆戻りします・・・・

まなポンは来月幼稚園を卒業という時期になりました。
はる坊は七ヶ月・・・(あー写真撮ってない・・・)離乳食も始めました。


2月10日
今月末は、妹の結婚式がハワイである為、お正月過ぎから体調管理はしっかり整えていました。
整えていたのに・・・・まなポンどっかからかインフルエンザお持ち帰り(新型)
幼稚園でははやってません!!
明日は小学校の体験入学だってのに・・・欠席です。
先生いわく、昨年大流行した新型でしたが、今年は昨年移らなかった子が発症しているらしい。
そういえば・・・学級閉鎖だの、日本全体が大流行したってのにまなポンはならなかったな・・・・
でも、いいほうに考えれば、今なったら結婚式には間に合う!! きっとはる坊も移ってるし月末までには直るだろう・・・なんて思ってたら私がなっちゃった!!
人生初のインフルエンザ発症です。と思う。
って言うのは病院にいってないので。

私が発症した日は休日で(しかも連休)、お昼ごろ急に悪寒がして関節が痛くなり39度まで上がりました。
まなポンに出されていた解熱剤をひとつもらって飲むと急に悪寒がひいて・・・すーっとそのまま寝てしまいました・・・翌日37度まで戻る。でも、はる坊におっぱいをあげながらなので・・なかなかゆっくりと横にはなれずにおきてると、38度代まで一気にあがり・・やっぱりふらふら・・・
そんな感じで熱が下がったりあがったりを2,3日繰り替えしてるうちに、直っちゃったみたい。

さて、問題のはる坊・・・まったく発症する兆しがなく・・・いつも一緒にいる私やまなポンはなったのに・・・
おかしいな・・・・結婚式まであと二週間このまま何事もなく・・・・と思ってたらハワイへ出発の一週間前に発症!! あー一週間前でよかった!!
いつも通ってる病院の先生は普段、薬を極力飲ませない方針なのですが、その先生がタミフル飲んだほうがいいというので、まだ七ヶ月で怖いなーって思ったけど、先生を信じて飲ませました。
はる坊は私やまなポンのように40度近くまでは上がらず、38度を行ったり来たりで直りも早かったです。

line77(まったり)

2月16日 久しぶりに幼稚園へ行くと、お友達からバレンタインデーのチョコをいただきました。
私にまで!!
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 そして気づいた。 結婚記念日・・・そう。うちは14日が結婚記念日でした・・・
インフルエンザでそれどころじゃなかったよ・・・

line77(まったり)


2月19日
まなポンの生活発表会は結局、はる坊はインフルで連れて行けず、だんなに預け私だけ見てきました。
ダンナもみたかったみたいだけど、ビデオでの鑑賞になりました。
本当はダンナに行ってもらう予定だったけど、まなポンが私に来てほしいといったので(笑)
昨年と同じく劇と歌。それから年長さんでは楽器演奏。
まなポンは木琴をやってました。 音階なんて教えてないのに良くわかるなーと関心するほど、上手に演奏できていました。

col75(まったり)  
インフルエンザで幼稚園をお休みしてなかなか練習できなかったんだけど、同じ木琴の男の子のたたくタイミングが早いと
「早いよ」とこそっとその子にささやいてました(笑)mokin(mariya).gif




無事インフルエンザ騒動も治まり、いよいよハワイです。


目的は結婚式だけど、私達家族は完璧に旅行気分です(^^)

ハワイに関してはそのうち書いておきたいと思います。
【 2011/04/06 】 未分類 | TB(0) | CM(0)

まずはじめに・・・・

東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧・復興をお祈りいたします。

あれから、三週間。
とっても心が晴れなくて泣きたい気分なのに、普段と変わらない穏やかなこの場所に住む人々。関西は本当に普通に暮らしていけてます。
私は「笑わなくちゃ」と思って無理して笑う。
というか笑ってもいいのかな?なんて思ったりします。

「こっちにいてよかったよね~」って言われると複雑です。
私の大好きな町が壊れ、大切な人がとても苦しんでる。そう思うと・・・私は何も不自由なく暮らしていて申し訳なく思ってしまうのです。
でも、このままじゃ、だめだよね。
 少しずつ私も上を向こうと思います。

3月11日

その日、ダンナは仙台へ出張予定でした。
あの時間、私は丁度子供たちと公園で遊んでました。
そこへダンナからの電話。
「仙台で大きな地震が合って、飛行機欠航になった」とのこと。
いつもの出張なら、朝から仙台入りしてるはずなのでもう仙台にいて、大阪へ帰ってこれないということなのかな?と思ってたら、まだ伊丹空港だといいます。
 たまたまその日は午後しか予定がなく、大阪で仕事を片付けてから出発する予定だったらしいです。
今思うと、いつもどおり早くに出発してたら、きっと震災に巻き込まれていたと思います。

でも、私達はまだ楽観的に捉えてました。
宮城で震度5,6の地震は珍しくない。
飛行機だって一時的に飛ばないんだろうな・・・なんて私達は思ってました。
予定していた会議は中止になったので、今日は自宅に帰るねーと言われ電話を切りました。 
今日は牛タンは無しかーなんて思いながら・・

一緒にいた友達なんかにも
「仙台は建物も頑丈に出来ていて地震に強いから大丈夫!」なんてお話しながら、16年前の阪神淡路大震災の事を聞いたりしてました。

一時間後、自宅に帰りテレビをつけると八戸の漁港が津波らしき海水に飲まれている映像が目に入ってきました。
八戸でこんだけひどいなら、宮城県沿岸部にあるダンナの実家はどうなってるんだろう? すぐにお義母さんの携帯に電話したけど、つながらず・・・
次に目に飛び込んできた名取市の津波映像。仙台空港にも津波が押し寄せてます。
空港ってこんなに海から近いんだっけ?? なんでこんなところまで来るの??え??
最初に思ったのは、来るはずのないところに津波がやってきてる。いったいどれだけ巨大な津波なんだろうか?そういうことを思ってました。

この時、初めて大変な大災害だということに気がついた。
足が震えて、涙があふれてきました。
仙台付近が津波に襲われるって、あまり考えたことがなかったです。

みんなは無事なのかな?
まったく連絡の取れない知人達のことがとても心配で・・・
午後のまだ明るい時間の地震です。
仙台港近くの公園になんて遊びにいってないかな??といろいろイヤな事を考えてしまってました。

この大地震は、宮城県民ならほぼ誰もが知っている、これから30年間の間に必ずやってくるであろう宮城県沖地震だろう・・・・とうとうやってきたなと思いました。

(でも、後日話を聞くところによると、震源地も違うし、想定されている宮城沖地震ではないらしい。こちらは1000年に一度の大地震だそうです。)



結婚したときに思いました。
ダンナの実家は海が近く、泳げない私はあまり水辺には近づきたくなく・・
津波も原発も怖いから、あそこにはすみたくないよ。そんなことをダンナと話したことがあります。
実家は高台にあって、いくらなんでもここまでこないし、まぁ港にいたら別だけどね。と当時ダンナが言ってました。

そんな話が、現実的なことになるなんて・・・・思ってもなかった。
(原発は大丈夫だったけど。)
過去のことだけど、そう思ってしまった私はなんて愚かだったんだろうと落ち込んでしまいました。

翌日、まったく連絡のつかない両親が気になり、同じ宮城県内に住んでるおねえちゃんが車で向かうことに。
夕方、様子を見に行ったおねえちゃんから短いメールが送られてきて「二人は無事だ」と。


ただ・・・おばあちゃんが建物ごと流されてしまいました。直前までお義母さんは一緒にいたようです。 用事が入り、一足早く自宅へ帰ったところの地震。

土曜日に震災後初めて、お義母さんと電話で話すことができました。
くわしい話を聞くとお義母さんもお義父さんも、一歩間違えてれば津波に流されてるところでした。
あの町の壊滅状態を思えば、二人とも無事、自宅も無事(お店は浸水したようですが・・・)なのは本当に奇跡だと思います。
おねえちゃんから、二人は復興に向けて張り切ってると聞いてたので、命もあったし、あまり心配してなかったけど、実際声を聞くと、元気がなく・・いつのもお義母さんではなかったです。

おばあちゃんのこと。「失敗させてしまった・・・」といいました。
なんて返していいかわからなかったです。

ほかにもいとこや親戚が流されてしまってるようです。
自宅を失った親戚もいます。 偶然にもまなかが保育園でお世話になった先生も住んでます。心配です。

海の近くには住みたくないーなんて言っていた私でしたが、あの町はきれいなところだなって思ってました。 おいしい魚を売っていた市場はもうない。だんなといろいろあって一人で実家へ向かった時(乗り込んだとき??)、お義母さんが連れて行ってくれた海洋施設ももうないです。 そしてなにより大好きだった仙石線が・・・・
まるで海の中を進んでるような感覚になる線路風景もあるんです。
そこが大好きでした。のどかで・・・癒されるのです。
 今では・・駅がなくなり何人ものご遺体が打ち上げられ・・・映像や写真を見かけるたびに悲しくて息苦しい気持ちになります。

他にも東北のハワイといわれるとてもきれいな鮎川の海。
今年は息子君も一才になるし、みんなで行こうと民宿を予約してたところでした。 
そして、とても眺めのいい牡鹿半島。あの穏やかな海が住民をこんな目に合わせるなんて・・・
私は度々、津波がきたらどうするの?ってダンナ家族に良く聞いてました、 質問しながらも半分、そんなことはないだろうと思いながら。。。
本当にやってきてしまった・・・・とても辛いです。

落ち込んでいたお義母さんに言われました。

「こっちは心配ないから、あなたは孫のことだけよろしくね。頼むよ」って。

私に出来ること。
そう、一番やらなきゃいけないことは、子供達をすくすく育て、今夏に会いに行くことだなって・・その時はっとしました。

直接の被災者じゃない私が落ち込んでたって、悲しんでたって何も意味がない。 
きちんと顔を上げて復興のために出来ることは全力でする。

大阪での暮らしは長くなりそうだけど、定年後住むなら絶対仙台だよね。ってダンナとよく話します。二人とも大好きな町です。
その町のために、力になりたいと考えてます。
だから、上を向いて、進まなきゃね。

まずは、8日にあるまなポンの小学校の入学式を元気に出席して、晴れ晴れとした孫の写真を送ってやろうと思います。

針仕事はなかなか再開するには気持ちの余裕が実際のところないのだけど、
落ち着いたら勇気を持って手仕事をしてみたいと思います。

ずっと更新出来てない間にもいろいろなことがあり、書き留めておきたいことが沢山です。
少しずつ、時間を見つけて書いていこうと思います。
気持ちを前向きにするためにも、これからブログを書き続けていこうと思います。
【 2011/04/02 】 未分類 | TB(0) | CM(0)


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